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大阪高等裁判所 昭和53年(う)1292号 判決 1983年2月22日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用中証人松倉豊治に支給した分は、被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人佐伯千仭、同前川信夫共同作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用するが、当裁判所は、所論にかんがみ、記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して、次のとおり判断する。

第一控訴趣意第二点の(1)(訴訟手続の法令違反の主張)について

論旨は、要するに、原判決は、その証拠の標目に「第六回及び第七回公判調書中の証人東郷四支枝の各共述部分」を挙示しているが、同証人は、原審公判廷において証言をする直前に、検察官から事前準備のための呼出を受け、その際同人の検察官に対する供述調書二通を全文読み聞かされているところ、右の如き検察官の事前準備の方法が許されないことは、公判廷における証人尋問について書面の朗読を排斥し(刑事訴訟規則一九九条の三第四項)、供述録取書面を示すことを禁止し(同規則一九九条の一一第一項)ている刑事訴訟規則の規定からみて明らかであり、検面調書を読み聞かせておいてさせた同証人の前記公判廷における各供述には証拠能力がないと解すべきであるのに、右証拠を有罪の認定に供した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。

よつて案ずるに、所論指摘の如く、証人の尋問方法に関し、刑事訴訟規則一九九条の三第四項は、主尋問において誘導尋問が許される場合であつても書面の朗読はこれを避けるように注意しなければならないと定め、同規則一九九条の一一第一項は、記憶喚起のために証人に提示することができる書面の中から供述録取書面を除外していることにかんがみれば、証人尋問そのものではなく証人に対する事前準備の際であつても、実質的に右各規定に違反するような準備方法をとることは、不当であるといわざるを得ない。しかしながら、不当な誘導尋問によつてなされた証言も、そのことから直ちに証拠能力を否定されるのではなく、当該誘導尋問の方法いかんにより伝聞法則を潜脱すると認められるような事態を招来する場合には、証言の証拠能力は否定されるべきであるが、そのような事態を招来するものでない場合には、その証言の証明力に影響を及ぼすことのあるのは格別、証言の証拠能力に消長をきたすことはないと解するのが相当であるが、書面の朗読ないし提示によつてなされた事前準備の後になされた証言の証拠能力もこれと同様に解すべきであつて、その事前準備によつて、例えば、証人に供述録取書面の内容を暗記させてその通りに証言させるなど伝聞法則を潜脱すると認められるような事態を招来しない限り、その事前準備の後になされた証言の証拠能力を否定すべきではないと考える。

これを本件についてみるに、原審証人東郷四支枝の各供述及び同人の検察官に対する各供述調書(昭和四五年一〇月二三日付、昭和四六年六月二八日付及び同年七月二三日付)によれば、同人は、原審第六回公判期日(昭和四八年二月一三日)及び同第七回公判期日(同年三月一七日)に証人として召喚され、同人が介助看護婦として立会した昭和四四年七月一〇日発生の本件医療事故について証言したこと、同人は、右第六回公判期日の前日である昭和四八年二月一二日午後一時ころから約一時間半にわたつて、大津地方検察庁において、公判立会検察官から証人尋問のための事前準備ということで、同人の同検察官に対する供述調書二通(前記昭和四六年六月二八日付及び同年七月二三日付)と本件に関連して提起された民事訴訟の公判廷における同人の証人尋問調書を、いずれも検察事務官を介して何らの付加説明もなく全文読み聞かされたこと、同検事からは「これで間違いないですか」と聞かれたのみで右事前準備を終了したこと、及び公判廷において右事前準備について質問された同証人は、右事前準備によつて必ずしも捜査段階における供述に迎合しなければならないという感じは受けず、現在の記憶を述べなければならないと思つたと供述し、現に、同人の公判廷における供述内容には、被告人の本件当日の行動についての目撃状況等の重要な点について捜査段階における供述と実質的に異なる部分が含まれていることの各事実が認められるところ、右各事実によれば、供述録取書面を全文読み聞かせるという検察官の本件における事前準備の方法は不当であるといわざるを得ないが、本件事前準備の方法が伝聞法則を潜脱すると認められるような事態を招来したものとは考えられず、したがつて原審証人東郷四支枝の公判廷における各供述は証拠能力を有するものと解すべきであるから、これを肯定して罪証に供した原判決に所論の訴訟手続の法令違反はないといわなければならない。論旨は理由がない。

第二控訴趣意第二点の(2)(証拠の証明力に関する経験則違反の主張)について

論旨は、要するに、原判決は、原判示日時ころ、原判示国立八日市病院手術室において、整形外科医である被告人が、入院患者の堀川勝美(当時二五才)に対し、陳旧性むち打症の治療方法としてキシロカイン混合液の頸部硬膜外注射を施術した直後、右患者の容態が急変した際に連絡を受けて応援に駆けつけた同病院外科医長石川威の捜査段階及び原審公判廷における各供述に絶対の信をおいていることが明らかであるところ、同医師は、自分が駆けつけた後、被告人に対し心臓マッサージを指示し、自分が気管内挿管を行つた結果、それまで停止していた患者の心臓が動き出したと供述するなど主要な点で全く真実に反する供述をしており、また同医師は、右患者の両親に対し、自分が駆けつけるのが「もう一五分早かつたら何とかなつただろう」などと無責任な発言をしていることなどにかんがみると、同医師の供述は全体として信用できないのに、これに全面的な信用性を付与している原判決には、証拠の証明力についての経験則違反があり、右は訴訟手続の法令違反に該当し、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

よつて案ずるに、原判決挙示の各証拠によれば、石川医師は、昭和三二年に医師国家試験に合格し、同三九年から前記病院に勤務するようになり、本件当時同病院外科医長であつたものであるが頸部硬膜外注射の経験や局所麻酔剤(以下局麻剤という。)による異常反応に遭遇した体験は有しないものの、患者の心臓及び呼吸が停止したような場合の救急蘇生法については熟達していたこと、同医師は、原判示日時ころ、入院患者の容態急変の急報を受けて手術室に駆けつけた後、直ちに立会看護婦にてきぱきと指示を与えて介助させ、気管内挿管や足部の切開をして静脈を確保し、必要な薬液の点滴を実施するなど迅速かつ冷静な治療を行い、居合わせた看護婦らは全員、同医師が駆けつけた後は、手術室に活気と秩序が回復したとの感じを受けたことの各事実が認められ、右各事実に加え、同医師の右手術室内の状況についての目撃供述に不自然不合理な点は全くなく、また同医師が被告人に対し、ことさら不利な供述をしていると認むべき事情はうかがえないことなどの諸事情をも併せ考え、ことに、同医師の救急蘇生法についての知識、経験及び当日の行動と同医師が患者の容態急変後の応援という比較的客観的冷静に事態を見得る立場にあつたことに徴すると、同医師の供述内容に高い信用性を認めることは、むしろ経験則に合致し、当然であるといわなければならない。

所論は、前述の如く同医師が被告人に心臓マッサージを指示したか否か、及び患者の心臓が再び動き出した時点がいつかという重要な事実について、同医師が虚偽の供述をしていると主張するのであるが、後記控訴趣意第一点の(1)及び(2)(ハ)について説示する如く、カルテ等他の関係証拠をも総合的に検討すると、右の点に関する同医師の供述はむしろ真実に合致していると認められ、右所論はその前提を欠き失当である。

また、なるほど患者の家族に対する同医師の発言には、所論指摘の如く不正確な表現(一五分前では注射開始前になる。)が認められるが、同医師は、捜査段階からこれを率直に認め、突然の娘の死に興奮する患者の両親をなだめるため、すこしでも早く駆けつけられたならばという程度の意味で不用意に「一五分」という表現を用いてしまつたと弁解しているところ、同医師の右弁明にとりたてて問題とすべきほどの不自然性は認められないといわなければならず、そうであれば、右の言辞をとらえて同人の本件当日の自己の行動、目撃状況に関する供述内容全体の作用性を左右するほどの重要な徴憑であるとする所論は到底採用できない。

以上説示したとこれによれば、原判決に所論の採証法則に関する経験則違反はないといわなければならず、論旨は理由がない。

第三控訴趣意中事実誤認の主張について

原判決は、被告人は、原判示国立八日市病院の整形外科医長として医療業務に従事しているものであり、昭和四四年七月一〇日午後二時ころ、同病院内手術室において、入院患者の堀川勝美(当時二五才)に対し、局麻剤である一パーセントキシロカイン液一〇cc、生理食塩水五CC及びリンデロン2.5ミリグラムの混合液の頸部硬膜外注射を施術したのであるが、右注射施用は、その実施中あるいは実施直後に往々にして被施術者に呼吸及び心臓機能停止を惹起する局麻剤反応を発現させるおそれがあり、かつ右反応が発現した場合には、発現後約三分間ないし五分間の短時間のうちに被施術者の脳中枢神経系への血液を十分回復させるため、すみやかに人工呼吸及び心臓マッサージなどの回復蘇生の処置を講じて被施術者を無酸素状態に陥らせないような措置をとらなければ、同神経系の壊死、軟化、崩壊による脳死を招来し、被施術者をして死亡するに至らしめる危険が予測できたのであるから、被告人には、(1)あらかじめ介助の看護婦に右注射施用に際し局麻剤反応が発現する場合があること及び発現した場合における対処の方法を教示しておくこと、(2)局麻剤反応が発現した場合に直ちに救急蘇生措置をとりうる用意を整えておくこと、(3)局麻剤反応が発現した場合には介助看護婦に適切な指示を与え、協力して直ちに人工呼吸及び心臓マッサージなどの救急蘇生措置を講じ、脳死に至る危険を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、被告人は、右注意義務を怠り、(1)(2)の教示及び用意をしないまま堀川に対して右注射の施術に及び、右注射施術をした直後に同人が局麻剤反応の症状を呈し、呼吸及び心臓機能の停止を惹起したのを認めながら混乱し、(3)の呼吸及び心臓機能の回復蘇生のための迅速、適切な処置を講じなかつた過失により、同人に脳中枢神経系の壊死、軟化、崩壊による脳死を生ぜしめ、よつて同月二四日午後〇時四五分ころ、同病院において、右脳死に伴う両側性、出血性、化膿性肺炎によつて同人を死亡させたとの事実を認定しているのである。

これに対し、所論は、一、本件異常反応発現に対する予測可能性及びその発現した場合の救命の可能性、二、介助看護婦に対する事前教示義務違反、三、あらかじめ直ちに救急蘇生措置をとりうる用意をすべき注意義務違反、四、異常反応発現後、看護婦に対して適切な指示をし、迅速適切な救急蘇生措置を講ずべき注意義務違反の各存否に関し、原判決が事実認定上の誤りをおかし判断を誤つたことを主張しているので、以下所論に従つて順次判断を示すこととする。

一本件異常反応発現に対する予測可能性及びその発現した場合における救命の可能性の存否に関する事実誤認の主張について(控訴趣意第一点の(2)、(3)の末尾)

論旨は、要するに、原判決は、本件患者に生じた異常反応が局麻剤反応であつて、これがキシロカインの頸部硬膜外注射に伴い往々に生ずるものであるから、被告人において右反応の発現を予測し得たこと、及び右反応が発現しても適切な回復蘇生措置を講じれば患者を救命し得たことをそれぞれ前提事実として被告人の原判示注意義務を認定していると解されるが、被告人が用いた局麻剤であるキシロカインは、極めて安全性の高いものであり、注射手技を誤らない限り本件のような異常反応が発現することは極めて稀であつて、事前に予知する方法もないから、被告人においてその発現を予測することはできず、また本件患者の死亡原因となつた本件異常反応は、患者の特異体質の寄与したアナフィラキシー様ショックであつて、いかなる措置を施しても救命し得ない場合である疑いがあり、本件がその場合でないと断定する根拠はどこにも存しないのに、前記の如く認定した原判決には、注意義務を認定するについての前提事実に誤認があり、右誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

よつて案ずるに、当裁判所は、以下に説示するとおりの理由により、原判決の認定した罪となるべき事実そのものではないが、原判決が本件異常反応の発現原因について説示している中には、一部事実の認定を誤つている点が認められるけれども、その点に関する正当な事実認定を前提として考察すると、原判決が同判示注意義務を認める前提として罪となるべき事実中に認定していると解される本件異常反応発現の予測可能性、及び右異常反応に対し適切な回復蘇生措置を講ずることによる救命の可能性の存在したことは明らかであるから、原判決には所論のいう前提事実に関する事実誤認はなく、本件異常反応発現の原因に関する説示中の右事実認定の誤りも、原判示注意義務及び過失の内容及び程度に何ら変更をもたらすものでないから、判決に影響を及ぼさないことが明らかである。すなわち、

(一)  原判決挙示の関係各証拠によれば、本件注射は、陳旧性のむち打症の治療のため、局麻剤であるキシロカインの混合液を頸部硬膜外腔に注入するものであること、原判示日時ころ、前記病院手術室内において、被告人が入院患者である堀川勝美に対し、右注射を施術し終えた後、注射針を頸部から抜き、これを機械タクシーと呼ばれる機材置台に置き、立会していた東郷四支枝婦長が右機械タクシーを所定の位置に戻そうとした時、すなわち注射終了直後ともいえる時点で、突然堀川は、「苦しい」「苦しい」と二回ほど叫び、みるみる顔色が変つたうえ、全身に脱力症状を生じ、その体が手術台から落ちそうになつたため、同じく介助のため立会していた大塚美代子、樋口(旧姓辻村)トミ子両看護婦らが協力して同女の体をささえて手術台の上に仰向けに寝かせたこと、直ちに大塚看護婦が脈をみたが触知不能であつたし、樋口看護婦が血圧計で血圧を測定したがやはり測定不能であり、自発呼吸も認められず、被告人が同女の頬を叩いて意識の有無を確認したがすでに意識不明であつたこと、及び堀川は、前記症状発現後各種の救急蘇生措置を施されたが、心臓機能の再開をみたのみで、意識は回復せず、呼吸については機械による人工呼吸が続けられている状態のまま、二週間後の七月二四日同病院で死亡したことの各事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右各事実によれば、本件患者に対する前記注射直後、患者に呼吸停止、意識喪失、血圧の急激な低下ないし心臓機能の停止を特徴とする症状が発現したことが明らかである。

(二)  鑑定人小片重男作成の鑑定書によれば、堀川の遺体は、同鑑定人によつて翌二五日に解剖されたこと、その結果、堀川の直接死因は、両側性、出血性、化膿性肺炎の増悪によるものであるが、右肺炎は、脳中枢神経に乏酸素性壊死、軟化崩壊が生じ、そのため患者に意識不明状態が長く続いた結果、血液循環不全、呼吸不全、異物吸引等が継続したため併発したものであること、及び右の如き脳中枢神経系の高度の変化は、外力によつて生ずるものではなく、脳への血流が約三分間ないし五分間以上停止または大減少をきたすと、脳中枢神経系に酸素が欠乏し、不可逆的(回復不能)な壊死、軟化崩壊が発生するが、本件は右の場合に該当するので、堀川の致死原因については右の血流の停止ないし大減少がなぜ発生したかを中心に検討されなければならないことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(三)  原審鑑定人松倉豊治作成の鑑定書及び同人の原審及び当審における各供述によれば、前記(一)(二)認定の症状及び解剖所見から想定し得るところの本件異常反応の発症原因としては、①注射針が誤つて硬膜外腔を突き破り、くも膜下腔に刺入され、同所に局麻剤であるキシロカインが直接注入されたことによる全脊麻、②キシロカインを誤つて多量に使用するか、血管に誤注入したために生じるキシロカイン急性中毒、③後天的に人体内に高分子蛋白性の薬剤(抗原)が抗体を作り、右薬剤と抗体が抗体抗原反応を起した結果生じるアナフィラキシーショック、④主として先天的にレアギンといわれる抗体が体内にあり、蛋白性に限らない薬剤等(アレルゲン=抗原にあたる)と反応して生じるアレルギー反応、⑤その機序は必ずしもすべて判明しているとはいえないが、患者に特異体質(代表的なものとして胸腺リンパ性体質、その他心臓、肝臓、腎臓の脂肪変性、副腎の機能障害、自律神経、ホルモンの変調、体調の変調等の競合が考えられている。)がある場合に、本件無害とされている薬剤がアナフィラキシー様反応またはアレルギー性反応を呈する場合を総称する一般の薬物反応といわれるものの可能性の五種類が考え得ることが認められる。

(四)  原判決の説示するところによれば、原判決は、右の可能性のうち①全脊麻、③アナフィラキシーショックの可能性はないとしてこれを否定しつつ、その余の原因のうちいずれかに特定することなく前記②④⑤(おおむね原判決の(判示認定の説明)一4(1)ないし(5)にあたると解される。)の原因を総称して局麻剤反応と定義し(これが厳密な医学上の定義と異なるものであることは原審鑑定人松倉豊治が局麻剤反応の概念に前記①③をも含めていることからも明らかである。)、そのいずれの原因であつても堀川の前記症状と解剖所見に矛盾するものではなく、また被告人においてその発現可能性を予測し得るものであり、かつ適切な救急回復措置があれば救命でき、その措置はいずれの原因についても共通であるから、原因を一義的に特定しなくても被告人の注意義務と過失の認定に何ら支障はないと判断していると解されるところ、原判決挙示の各証拠に当審における各鑑定の結果を加えて検討すると、学理上及び臨床的に局麻剤であるキシロカイン及び本件注射液に混合された消炎剤シンデロンのいずれにも抗体生産性は証明されていないから③のアナフィラキシーショックである可能性はなく、その余の可能性のうち②④⑤の可能性を決定的に否定すべき事由は存在しないとした原判決の認定はその限度において正当であると認めることができる。

(五)  しかしながら、前記の①全脊麻も又本件異常反応の発症原因である可能性を否定することはできない。すなわち、

(イ) 原審鑑定人松倉豊治、原審証人兵頭正義及び当審鑑定人増原健二らは、いずれも堀川の前記症状自体は、全脊麻の症状であると考えても何ら矛盾はないとしながら、①前記小片重男作成の鑑定書によれば、解剖所見として、第五、第六頸椎間の左側の横突起間靱帯に蛋刺大の注射針痕二個があるが硬膜に穿孔の痕跡はみられず、本件局麻剤の注射は頸部硬膜外に行われたものと考えてよいとされていること、②本件記録を検討すれば、被告人が頸部硬膜外腔に注射針を刺入してからキシロカイン混合液を注入し終えるまで約三分ないし約一〇分間を要していると認められるところ、被告人が注射手技を誤り、硬膜を破つてくも膜下に針先を刺入し、同所にキシロカイン混合液を注入したと仮定した場合には、右の長い注射時間中にも直ちに異常反応が発現するはずであること、の二点を主要な論拠として全脊麻の可能性を否定していると認められる。

(ロ) しかしながら、まず、右論拠の一つである本件注射液の注入に要した時間についてみるに、それが約三分間ないし一〇分間であるというのは、本件注射に立会した三名の介助看護婦の捜査段階及び原審公判廷における各供述並びに被告人の原審公判廷における供述をいずれも措信し、その最短と最長の時間をとつて幅のある認定をした結果によるものであるが、右介助看護婦らは、本件注射時においてそれぞれ患者の体の固定や器具の準備等注射以外の任務を分担しており、本件注射の施術過程を終始注視したり、その過程のうち注射液の注入時間のみを正確に区別して認識するような余裕があつたとは考えられず、現に前記三名の右の点に関する供述には変遷が多く信用性に乏しいことが明らかである。したがつて右時間については、最も正確に認識し得る立場にあつた被告人の供述を中心に検討すべきところ、被告人は、検察官に対する昭和四六年三月一二日付供述調書中で、約三分間を要したと明確に供述しながら、他方原審第二回公判廷(昭和五二年一月二五日)においては約五分間ないし一〇分間と述べるなどその供述にも一貫性が認められないが、後者の供述は、本件注射の行われた昭和四四年から余りにも長い日時が経過した後になされたものであるうえ、その内容も幅があつてあいまいであるのに対し、記憶が比較的鮮明な時期に、しかも任意取調の際に、自己の過失の存在を最終的に否定しつつ本件注射前後の状況について詳細に供述したと認められる前者の供述内容には高い信用性が認められるといわなければならない。

そうすると、前記注射液の注入時間は、証拠上約三分間と認定するのが正当であり、そうすると、右注入時間が約三分間ないし一〇分間であることを一つの根拠として全脊麻の可能性を否定した前記(イ)の見解は誤つた事実認定に基づくものといわざるを得ない。

(ハ) そこで本件注射液の注入時間が約三分間である事実を前提として、さらに全脊麻の可能性について検討するに、原審鑑定人若杉文吉作成の鑑定書、原審証人石井奏の供述及び当審鑑定人稲本晃作成の鑑定書その他の関係証拠によれば、硬膜穿刺孔の有無は、顕微鏡検査によらなければ確定できないのに前記解剖所見は拡大鏡によつていること、硬膜穿刺孔は患者が意識不明状態でも呼吸及び血流が継続していれば一週間程度で修復される可能性があるのに、本件患者は死亡並びに解剖まで約二週間を経過していること、及び硬膜は血管が少なく線維性で針が線維の方向に刺入されると出血点や線維の断裂等の発見し易い外見上の所見が生じない場合があることの各事実が認められ、右各事実に原審証人小片重男が原審公判廷において、右穿刺孔の修復の可能性は十分考えられるがそれに要する時間についての判断は、法医学の分野よりは臨床医の専門分野に属すると供述していることをも併せて考慮すると、前記解剖所見を根拠に被告人が誤つて硬膜を穿刺たものでないと認めることはできない。

かえつて、原判決挙示の証拠及び当審鑑定人稲本晃作成の鑑定書によれば、被告人が本件注射に用いた注射針は、先鋭なルンバール針であつて、硬膜外注射専用の先が鈍になつた翼状針ではなく硬膜穿刺を起こし易いものであること、しかも被告人が刺入した第五、第六頸椎間の位置は、安全性の高いといわれる腰椎に近い位置より硬膜が薄くなつており穿刺の危険性の高い部位であるのに、被告人は、整形外科専門医で、本件当時麻酔法については研修中であり、腰椎硬膜外注射については、指導教授ないし医師の監督の下に約一五〇例の経験があるものの、頸部硬膜外注射については、研修中に二例の経験があるのみで、被告人が自らの判断で治療のために頸部硬膜外注射を実施したのは、本件患者堀川に対し、本件注射に接近した時期である昭和四四年六月二七日、同月三〇日の二回にわたつて行つたのが最初であつて、右注射手技に熟達していたとはいえないこと、硬膜穿刺の程度が浅い場合や徐々に刺入してしまつた場合には、キシロカイン薬液の注入前に注射筒に血液や髄液の流出がないことや注射中にただちに異常反応が発現しない場合のあること、本件患者にあらわれた異常反応は、典型的な全脊麻の症候であること、キシロカインが所論も指摘するように薬剤そのものとしては安全性の高い麻酔薬であることなどの事実が認められ、以上認定した事実を総合すると、被告人が誤つて硬膜を穿刺し全脊麻を惹起した可能性は否定できず、その蓋然性はけつして低くないといわなければならない。

以上(イ)(ロ)(ハ)に説示したとおり、本件局麻剤の注射により堀川に発現した異常反応の原因は、全脊麻によるものである可能性を否定することはできず、むしろその蓋然性はけつして低くないと考えられるから、その可能性を排除していると認められる原判決には、その点に関し事実認定上の誤りがあることが明らかである。

(六)  しかしながら、前記松倉豊治作成の鑑定書、稲本晃作成の鑑定書並びに原審及び当審における証人松倉豊治の各供述その他関係証拠によれば、キシロカイン等の局麻剤の頸部硬膜外注射の際に、原判決認定の前記諸原因に基づくもののほか、注射針の硬膜穿通による全脊麻に起因する異常反応としての局麻剤反応が発現する危険性については夙に指摘されており、その発生の確率の高低を正確に算定し得る資料はないものの、昭和四四年の本件当時麻酔に従事する医師間においては周知の事柄に属すること、しかも局麻剤の硬膜外注射直後に発生する局麻剤反応は、その原因が原判決の認定するようなものであれ、あるいは全脊麻であれ、いずれも本件患者にあらわれた前記症状のように、呼吸停止、意識喪失、血圧の急激な低下ないし心臓停止であり、これに対する治療としては、発症から約三分間ないし五分間、平均約四分間(麻酔に従事する医師間で「ジャストフォーミニッツ」との合言葉があるほどの鉄則である。)以内に脳中枢神経系への十分な血流を再開し、同神経系に酸素欠乏を生じさせないことが肝要であつて、そのため救急蘇生措置として人工呼吸と心臓マッサージを同時平行的に患者に施す必要がある点で共通性があること、右措置を適時に適切に実施し、脳中枢神経に乏酸素性壊死、軟化崩壊等の医学上回復不能な変化さえ発生させなければ、その後の他の治療措置とも相まつて患者を救命し得る可能性が極めて高いものであること、ことに全脊麻については、高位脊椎穿刺による局麻剤注入によりこの症候を故意に発生させた後、前記救急蘇生措置を施して蘇生させることにより有痛疾患の治療(ペインクリニック)に用いる治療技法さえ存在し、適切な救急蘇生措置により一〇〇%救命の可能性があるとされていることの各事実が認められ、さらに被告人の原審公判廷における供述及び押収してあるカルテ一綴(当庁昭和五三年押第五二七号の一)によれば、本件当時、被告人は、各地の病院、大学等で麻酔専門医の指導の下に通算して約二年半ほどの麻酔研修を受けており、右の如き局麻剤反応としての各種合併症の存在、発現した場合の救急蘇生措置、右措置をとつた場合の救命可能性等について全脊麻の場合を含め十分な知識を有し、実際に局麻剤反応を呈した患者に施した経験はないものの救急蘇生措置技法についての一応の知識経験をも有していたこと、そのため本件患者に対する本件注射より前の前述の二回の頸部硬膜外注射の際には、他の注射の場合と異なり、いずれの場合にもカルテに「術後異常なし」の特別記載を行つていることの各事実が認められる。そして、本件局麻剤注射に伴う異常反応の発現原因として原判決の説示するような諸原因のほかに、注射手技の誤りによる全脊麻の可能性があり、その蓋然性のけつして低くないことを前提として、右認定事実に基づき考察すると、本件局麻剤反応が被告人において予測し得たものであり、かつ適時に適切な救急蘇生措置を施せば救命し得たものであることは明白であり、被告人に原判示注意義務があることを認めるための前提として、罪となるべき事実として右と同様の認定をしていると認められる原判決の判断は正当であつて、右局麻剤反応の発生原因に関する原判決の説示中にみられる上記事実認定の誤りは、判決に影響を及ぼすものでないことが明らかである。

(七)  なお、原判決が有罪と認めた本件予備的訴因は、本件局麻剤注射に伴う呼吸停止及び心臓機能停止を中心とする異常反応について、その発現の予測可能性並びに呼吸及び心臓機能の回復蘇生措置による救命の可能性を前提として、被告人に原判示注意義務及び過失のあることを問うものであつて、右注射に伴う異常反応について、それ以上にその発生原因を特定しその発生機序を明らかにすることは右訴因の範囲内に属する事項ではなく、また全脊麻は注射手技を誤つた際に発生するものであるが、前記のとおり救急蘇生措置さえ誤らなければ患者の生命に影響することは全く考えられないものであり、本件注射施術直後に、しかも救急蘇生法について知識経験を有する被告人がいまだ手術室に現在している際に発生した本件異常反応が全脊麻によるものであるとしても、注射手技の誤りは本件患者の死に直接因果関係を有する性質のものであるとは認められないから、当審において、被告人に注射手技の誤りの可能性があつたことを指摘し本件局麻剤反応の発生原因に全脊麻を加えて検討することは、何等訴因とされている注意義務と過失の内容を超える事実を認定するものではないと解される。

(八)  所論は、原判決は、前述のとおり本件異常反応の原因を一個に特定していないところ、例えば前記(三)⑤のアナフィラキシー様ショックに患者の特異体質が加わつたような場合には、いかなる措置を講じても救命し得ない場合があり得るから、被告人に前記注意義務を課することはできない、というのであるが、前記松倉鑑定書、小片鑑定書並びに証人松倉豊治の原審及び当審公判廷における各供述その他関係証拠によれば、そのような一般的可能性が絶無でないことは所論指摘のとおりであるものの、右の可能性が具体化するのは患者に注射前から存在した心臓機能を中心とする身体諸機能の平衡維持能力の幅の狭さ、要するに急激な身体変調に対する耐久力の弱さが考えられる場合であつて、解剖所見上堀川には本件発症前から存在したと認められることさらな病変はなく、強いて挙げれば心臓に肥大とまではいえない拡張症状と大動脈に発育不全が認められるが、その程度は、高度のものではなく、局麻剤反応に伴つて死を避けがたいものとさせるほどのものとは認められず、同人の死への転帰の機序は、脳中枢神経系への約三分間ないし五分間の血流停止または大減少→同神経系の乏酸素性壊死等の発生→長期間の意識喪失、呼吸、循環不全の発生→両側性、出血性、化膿性肺炎の罹患と増悪→死亡というように比較的明確になつており、他の病変が死に寄与したと認むべき具体的な証跡は全くないことが明らかであり、右事由に加え、本件患者に対し本件注射の前に二回にわたつて行なわれた同様の局麻剤の頸部硬膜外注射の際には何らの異常反応も発生しなかつたこと、同患者は本件注射前には、病室から手術室まで平常に歩行し、看護婦と会話するなど本件注射の対象となつた陳旧性むち打症以外に体調の変調をうかがわせるような事情は全くなかつたことをも併せ考慮すると、所論指摘の点は学理上ないし一般的な可能性にとどまり、本件の場合に具体的に右の可能性を考える余地は本件の全証拠を検討しても見出せないといわざるを得ず、適時に適切な救急蘇生措置を講じれば本件患者を救命し得たという前記認定を左右するに足りない。所論は採用できない。

二控訴趣意第一点の(3)(イ)(介助看護婦に対する事前教示義務違反の存否に関する事実誤認の主張)について

論旨は、要するに、キシロカインは、日常的に、例えば単なる切傷の縫合等の際にも手軽に用いられている局麻剤であり、医師に対し注射の都度、看護婦に局麻剤反応の発現可能性と対処の方法を事前に教示する義務を課することは酷に失し、また対処方法のうち人工呼吸法については看護婦であれば通常知つているはずのことであるから、右については事前教示義務がないことは明らかであるのに、それぞれ事前教示義務という注意義務を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。

しかしながら、原判決挙示の各証拠によれば、原判示の注意義務が存在するとした原判決の事実認定は優にこれを肯認することができる。

すなわち右各証拠によれば、本件注射は、局麻剤であるキシロカインを麻酔目的ではなく、治療のためしかも頸部硬膜外腔という脳中枢神経に直結している部位に近い危険な位置に注入するという高度な技法であつて、キシロカイン自体の作用による場合のほか注射手技の誤り等によつて急激に呼吸及び心臓停止などを招来するような異常反応が発現するおそれがあり、しかも右発現を事前に完全に防止する方法は開発されておらず、それが発現した場合万全の救急蘇生措置をとつて救命をはかる以外に事故防止の方法がないこと、右救急蘇生措置は、前述の如く約三分間ないし五分間の短時間に講じられなければならず、極めて迅速性を要するものであるところ、その具体的方法は、人工呼吸と心臓マッサージを同時平行的に行うものであつて、介助看護婦が現在する場合には、必ずこれと協働しなければ適切に行い得ない性質のものであること、以上の如き本件注射の危険性と対処方法の特質について、被告人は、実地体験はないものの、研修によつて相応の知識経験を有していたため大事をとつて本件注射を手術室で行つたが、これに介助のため立会した三名の看護婦にそのような知識経験があるか否かについては、事前に何らの確認もせず、また救急蘇生措置について教示もしなかつたこと、実際には、同女らに本件のような局麻剤注射による異常反応についての知識経験はほとんどなかつたこと、の各事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右各事実に徴すると、被告人が本件注射を施術するについて、本件注射を主宰する医師としてその有する知識経験に基づき、介助看護婦に対しあらかじめ局麻剤注射に伴う異常反応が発現する場合があること及び発現した場合における対処の方法を教示すべき業務上の注意義務が認められ、被告人はこれらの義務を尽していないことが明らかであるといわなければならない。

所論は、いずれも本件注射の部位及び方法の特殊性、異常反応発現した場合における対処する方法に関する迅速性、困難性及び組織的協働の必要性について十分な考慮を払つているとはいえず、到底採用できない。

三控訴趣意第一点の(2)(ロ)(あらかじめ直ちに救急蘇生措置をとりうる用意をすべき注意義務違反の存否に関する事実誤認の主張)について

論旨は、要するに、原判決は、本件注射直後に患者に異常反応が生じた際、麻酔器(人工呼吸器に転用できるもの)に蛇管、マスクを取り付けておくなど事前の用意が十分でなかつたために救急蘇生措置着手時間が遅れたと認定しているが、被告人は、異常反応が生ずる可能性を考慮して麻酔器等が備え付けられた手術室で施術を行つているのであるから、事前準備義務は尽しており、また麻酔器に蛇管、マスクをセットすることは約一分以内にできるからこれらをあらかじめセットしておくことを義務づけることは酷に失するといわなければならないのに、前記の如く認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。

しかしながら、前述の如く、本件救急蘇生措置には、いわば一分一秒を争う迅速性が要求されるのに対し、被告人及び介助看護婦とも右措置に熟達していなかつたのであるから、被告人には、本件注射を手術室で行うのみでは足りず、異常反応発生の場合即刻人工呼吸を開始できるようあらかじめ麻酔器に蛇管、マスクを取り付けておくなどの準備を整えておくべき業務上の注意義務があつたことは明らかであり、また本件注射の際、被告人が右義務を尽していなかつたことは証拠上明白であるから、原判決に所論の事実誤認は認められない。論旨は理由がない。

四控訴趣意第一点の(1)及び(2)(ハ)(局麻剤反応が発現した場合に、看護婦に対し適切な指示をする義務及び適切迅速な救急蘇生措置を講じる義務違反の存否についての事実誤認の主張)について

論旨は、要するに、被告人は、患者の容態急変に対応して①患者の頬を叩いて意識の有無を確認し、②ベッドから落ちそうになつた患者の体を看護婦とともに仰向けに寝かせ、③橈骨動脈で脈の有無を確認し、④樋口看護婦に指示して昇圧剤カルニゲンを注射させ、⑤東郷看護婦が準備した麻酔器の酸素の流量調整を行い、⑥人工呼吸のための麻酔器のバック操作を行い、⑦次いでバック操作を東郷婦長らにまかせ、踏台を持つてこさせて心臓マッサージを実施し、⑧その結果三、四分後にボーンという音がして心臓が動き出したので再びバック操作を行つた、のであるから、被告人は、医師として必要な限りの看護婦に対する指示をし、適切な救急蘇生措置を遅滞なく行つているのに、被告人の介助看護婦に対する指示が適切を欠き、また被告人のとつた措置が遅滞したうえ間欠的断片的で不十分であつた過失が認められるとした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

よつて案ずるに、原判決挙示の各証拠によれば、被告人が介助看護婦に対し適切な指示を行わず、また適時に適切な救急蘇生措置を講じなかつたとの原判決の事実認定は、十分首肯することができる。

すなわち右各証拠によれば、前記第三の一の(一)で認定判示したように堀川の容態が急変した際に、被告人が看護婦らに口頭で指示したのは、樋口看護婦が自分の判断で「カルニゲン(昇圧剤)を注射しましようか」と叫んだのに対し、「すぐしてくれ」と答えたのみであつて、その他には挙動等によるものをも含めて指示を全く与えなかつたため、介助看護婦らは混乱をきたし、東郷婦長が「先生どうしましようか、注射して下さい」と言つたり、石川医師が応援に駆けつけるまでの間、樋口看護婦、大塚看護婦が呆然と立ちつくすような状況が発生したこと、堀川に自発呼吸がなく脈、血圧とも測定できなかつた時点から、樋口看護婦がカルニゲンを注射し、他方東郷婦長が人工呼吸を行うため麻酔器に蛇管及びマスクを接合しこれを手術台に引き寄せ次いで被告人が堀川にマスクをあて、酸素の流量調整をし、東郷婦長がバック操作を開始するまでに最低約一分間を要し、東郷婦長がバックを一〇回位操作した後、患者に自発呼吸がないのにバック操作をしても無駄ではないかと思い込み、無管内挿管を施術してもらうべく外科医長の石川威医師の応援を求めるため、バック操作を被告人にまかせて手術室を独断で離れ、約一〇メートル離れた中央材料室の電話に到着するまで三〇秒ないし一分間、右電話を受けて石川医師が約一三八メートル離れた同病院車庫付近から手術室に駆けつけるまでに約二分間、同医師が到着した際麻酔器のバック操作をしていた被告人に対し心臓マッサージを依頼し、これと平行して同医師が気管内挿管を行い、次いで看護婦に人工呼吸をさせつつ足部の切開を行い静脈を確保して点滴を可能にし、堀川の心臓の動きが再び開始して血流が完全に回復するまでに最低三分間をそれぞれ要し、結局心臓停止が推定される時点から血流の十分な回復まで少なくとも六分三〇秒を要していることの各事実が認められる。

もつとも、所論は、被告人は、最初麻酔器のバック操作をし人工呼吸をしていたが聴診器で心音を確認したところ、心音が聞こえないので心臓の用手マッサージの必要を感じ、三、四分間心臓マッサージを実施したところ、患者の心臓が動き出したので、再びバック操作に戻つたのであるから、血流回復は、心臓停止から約五分以内に行われた可能性があると主張しているところ、被告人の原審及び当審における各供述に右主張に沿う部分があるばかりでなく、関係証拠によれば、東郷婦長からの通報で応援に駆けつけた木野看護婦は、手術室内で被告人が踏台に乗つて心臓マッサージをしていた状態を目撃し、また右木野看護婦より遅れて手術室に入つた石川医師は、被告人がバック操作をしている状況を目撃していることが明らかであることにかんがみると、被告人は、当初東郷婦長につづいてバック操作を自ら行い、次いで心臓マッサージをし、再度バック操作に戻るという作業(いわゆる単独蘇生法)を実施していたと認めることができ、しかも混乱状態にあつたとはいえ、被告人が熱心に心臓マッサージを行つた結果三、四分でボーンという音とともに心臓の搏動が始まつたと極めて臨場感に富んだ供述を捜査段階以来一貫して続けている点をも考慮すると、所論のいうように被告人が自分の判断で行つた第一回目の心臓マッサージの際に心臓の搏動が再開し、血流が回復した可能性については十分検討を加える必要があるといわなければならない。

しかしながら、前記解剖所見によれば、本件患者については結果的に十分な血流回復が遅滞したことが明らかであること、本件当時被告人自身が記載したと認められる前記カルテに気管内挿管後に心臓が動き出したと解される記載があること、被告人の本件救急蘇生措置についての供述は、捜査段階、公判を通じて黙過し得ない変遷が多く、被告人は、本件異常反応の突然の発現に混乱して、当時の正確な事実経過についての記憶を有していないといわざるを得ないこと、これに対し応援に駆けつけた前記石川医師は、自分が手術室に入つた後、被告人に心臓マッサージを依頼し、自分は気管内挿管、静脈確保を行つているうち心臓が動き出したことを捜査段階から原審公判廷に至るまで一貫して供述しており、右供述は前記カルテの記載にも合致していることなどの諸事情に加え、原審証人兵頭正義の証言及び被告人の当審公判廷における供述によれば、心臓マッサージの実施によつて一旦心搏が回復した場合には、それ以上下手に心臓マッサージを続けるべきものでないことは麻酔に従事する医師間に知られた事実として被告人も熟知していたこと、したがつて石川医師が手術室に入つてきた後、被告人に第二回目の心臓マッサージを依頼した際、すでに心搏が回復しているのであれば、当然被告人はその事実を告知するはずであるし、前記のとおり救急蘇生法に熟達した石川医師が心搏回復の有無を全く確認せず、これを看過して被告人に心臓マッサージを依頼するとは考えられないのに、被告人は右依頼に無条件に従つて第二回目の心臓マッサージを実施していることの各事実が認められることをも併せ考えると、前記のように単独蘇生法を行つていた被告人は、人工呼吸と心臓マッサージを交互に実施する必要を感じ、第一回目の心臓マッサージで心搏の回復が発生して血流の十分な循環が確保されないうちに、再び人工呼吸に戻つてしまつたものであつて、約三、四分後に心搏が回復したとの前記被告人の供述は、第二回目の心臓マッサージの際の心搏回復について鮮明に残つている記憶に基づいてなされたものであると認めざるを得ない。

以上説示したところによれば、被告人は、前記のようにジャストフォーミニッツともいわれる約三分ないし五分間という短時間に人工呼吸と心臓マッサージを看護婦と連携して適切に行わなければならないのに、介助看護婦に対し、役割分担についての適切な指示を怠り、かつ介助看護婦と協働すれば人工呼吸と心臓マッサージの同時平行的な実施が可能であつたのに、混乱して単独蘇生法を行つたにとどまり、そのため前記限定された時間内に血流の回復及び脳への酸素補給に失敗したという過失が認められ、右と同旨の判断をした原判決の事実認定は正当であるということができる。

五その他所論にかんがみ、記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調の結果を参酌しても原判決に所論の事実誤認は認められない。事実誤認に関する各論旨はいずれも理由がない。

よつて刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用につき同法一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(石松竹雄 緒賀恒雄 安原浩)

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